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大阪高等裁判所 昭和62年(ネ)2278号 判決

控訴人

永井靖郎

右訴訟代理人弁護士

田宮敏元

鎌田杏鐺

被控訴人

山種証券株式会社

右代表者代表取締役

山崎富治

右訴訟代理人弁護士

松下照雄

田代則春

川戸淳一郎

主文

本件控訴を棄却する。

控訴人が当審で追加した予備的請求を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  控訴人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し、金三五〇〇万円及び内金五〇〇万円に対する昭和五九年八月八日から、内金三〇〇〇万円に対する昭和六二年八月六日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。被控訴人は控訴人に対し、金一七〇〇万円及びこれに対する昭和六二年一二月五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え(控訴人が当審で追加した予備的請求も同旨)。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被控訴人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

二  原審大阪地方裁判所昭和五八年(ワ)第八〇一九号事件(以下「甲事件」という)及び同昭和五九年(ワ)第六九九九号事件(以下「乙事件」という)の主位的請求に関する当事者双方の主張は、次のとおり付加・訂正する外は、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(一)  原判決三枚目表九行目の「中元」を「被控訴人代理人中元」と改め、同四枚目表八行目の「被告に対し、」の次に「主位的に預託金返還請求権の内金として、予備的に」を、同裏一行目の「乙事件関係」の次に「―主位的請求」を、それぞれ加え、同五枚目表一二行目から末行にかけての「、並びにこれら」を「並びに右代用証券及び買付した株式の時価相当額の総額の内金一七〇〇万円とこれ」と、同裏一行目の「から」を「後の昭和六二年一二月五日から完済まで」と、同二行目の「支払、」から同一〇行目末尾までを「支払を求める。」と、それぞれ改め、同七枚目裏一一行目の「認める。」を「否認する。」と、それぞれ改める。

(二)  控訴人の主張の補充

1  控訴人は本件金員を中元に交付するに当たり重大な過失はなかった。

控訴人は、中元より日産化学の株式の買付けに本件金員が必要だ。右資金調達につき同人所有の日興証券ファミリーファンドを担保に提供すると言われたので、本件金員が本件口座に入金されるものと信じて、本件金員を中元に交付したものであるが、これは控訴人が本件口座を中元に名義貸ししておらず、中元による自己思惑取引の疑念をもたなかったからである。又、控訴人は中元が当時大阪商業信用組合に対し多額の債務を負担していたことを全く知らなかったし、知りうる機会も余地もなかった。控訴人にとっては中元が本件金員を詐取したことは予想の範囲外のことであった。

2  本件口座は控訴人の口座であり、中元に名義貸ししていたものではない。本件口座における全ての取引は控訴人のために行われたものであり、控訴人も各取引につき事前にあるいは事後にこれを承認ないし追認しているから、その法律効果及び権利義務は控訴人に帰属するものであって、このことは中元が自己又は第三者の資金を本件口座に入金したり、内心に乱用の意思があったとしても影響のない事柄である。従って、昭和五八年二月一六日当時における本件口座の顧客勘定残高金七〇五六万七五九六円につき、控訴人は被控訴人に返還請求権を有するものである。

3  本件口座における取引が、中元による自己思惑取引であり本件口座における中元の行為が被控訴人の代理人としてのものでなかったとしても、控訴人はこれを知らず悪意はなかった。

証券取引法第六四条第一項の規定の適用がないのは、相手方が悪意の場合に限られることは同条第二項が明記するところであって、証券取引の場合、顧客は外務員を信用し外務員を介して現金、株式の受渡し、株式の売買取引をするものであり、迅速性、多数反復性、集団性、画一性を要するものであるから、一般の民事事件の如く重大な過失の存否により法律行為の効力の判断をすると、顧客保護のためにならず法的安定性を害するものである。

仮に、同条第二項の悪意に重大な過失が含まれるとしても、控訴人は被控訴人からの売買報告書、照合通知書、残高照合通知書等によりその都度取引状況を認識し、把握しているのであり、本件口座における取引が中元の主導、指導のもとに行われたとしても、素人である控訴人が監督の立場にある証券会社の被控訴人や専門家である中元を監視したり、監督したりすることは不可能であって、控訴人には重大な過失はなかった。

三  控訴人が当審で追加した乙事件の予備的請求の原因

1  控訴人は、中元を介して被控訴人に対し、原判決添付一覧表一ないし七記載の金員及び株式を委託保証金及び代用証券として預託したところ、中元は被控訴人の代理人として控訴人に対し、本件取引をなすに当たり、元金相当額及び少なくとも金利程度以上の利益を保証する旨約束した。

2  仮にそうでないとしても、被控訴人の代理人北村常務及び小島大阪副支店長の両名は、昭和五八年二月一五日控訴人から念書(乙第一号証)をとるに際し、控訴人が出捐したものについては責任をもって返還する旨約束した。

3  よって、控訴人は被控訴人に対し、委託保証金及び代用証券の時価相当額の範囲内である金一七〇〇万円及びこれに対する控訴人の昭和六二年一一月三〇日付請求の趣旨変更申立書の送達の日の翌日である昭和六二年一二月五日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四  右予備的請求の原因に対する被控訴人の答弁

1  右予備的請求の原因1の事実中、控訴人が中元を介し被控訴人に対し、同表二記載の松下電工株式会社の株式五二〇〇株及び同表三ないし七記載の各株式を預託したことは認め、中元が控訴人に対し、元金相当額及び少なくとも金利程度以上の利益を保証する旨約束したことは不知、その余の事実は否認する。

株式運用による利殖(利益保証)契約は、証券会社が営業としては行い得ないものであって、このような契約がなされたとしても、それは顧客と外務員との間におけるものであり、この場合外務員は顧客の代理人であって証券会社は何らの責任をも負うことはない。

2  同2の事実は否認する。

五  証拠関係〈省略〉

理由

一控訴人の甲事件の請求及び乙事件の主位的請求についての当裁判所の認定判断は、次のとおり付加・訂正する外は、原判決理由説示のとおりであるから、これを引用する。

(一)  原判決一一枚目表一〇行目の末尾に「原本の存在及び」を、同一一行目の「第四号証、」の次に「成立に争いのない」を、それぞれ加える。

(二)  同一九枚目表五行目と六行目の間に次のとおり加える。

「ところで、控訴人は、当審において、本件金員も中元が被控訴人の代理人として株式の信用取引代金にあてるために受領したものであると主張するので、この点について検討する。

前記認定によると、本件金員は、控訴人が中元から本件口座における取引に必要であるからと依頼されて、株式信用取引代金として中元に交付したものであるから、中元は本件金員を株式の取引に関し受領したものであり、証券取引法第六四条第一項によると、被控訴人の外務員である中元は被控訴人に代わって有価証券の売買その他の取引に関し、一切の裁判外の行為を行う権限、いわゆる一般的代理権限を有するものとみなされ、本件金員の受領も外形的には右一般的代理権限の範囲内の行為であるが、前記認定事実によると、実際は中元は本件金員を本件口座における自己思惑取引の資金として使用するために借受け、結局は自己の貸金債務の返済に宛てたものであって、右一般的代理権限を濫用したものであるところ、同条第二項は同条第一項の規定は相手方が悪意であった場合には適用しない旨定めているが、右悪意には外務員の当該行為が一般的代理権限を濫用したものであることにつき相手方に悪意と同視できる程度の重大な過失のある場合も含まれるものと解するのが相当であり、本件においては、前記説示のとおり、控訴人が、中元が本件口座において自己思惑取引を行っており本件金員が中元の計算で使われる可能性のあることを知らなかったとしても、控訴人にはこの点につき重大な過失があったものと認められるから、同条第一項は適用されず、控訴人は中元の本件金員の受領につき被控訴人に対して責任を問うことはできないというべきである。」

(三)  同二一枚目表一行目と二行目の間に次のとおり加える。

「控訴人は、本件口座は控訴人のものであり、本件口座における取引は全て控訴人のために行われており、控訴人は右行為につき事前または事後の承諾ないし追認をしているので、その権利義務は控訴人に帰属する旨主張するが、前記認定のとおり、本件口座は中元の自己思惑取引に使われ、控訴人以外の中元あるいは第三者の資金による取引が行われているのであるから、これらの取引は中元あるいは資金提供者の計算で同人らのために行われたものでその権利義務は同人等に帰属するものと解せざるを得ない。」

二次に控訴人が当審で追加した乙事件の予備的請求について判断する。

(一)  乙事件の予備的請求原因1において、控訴人は、中元は被控訴人の代理人として、本件取引をなすにあたり、控訴人に対し、元金及び金利以上の利益を保証する旨約束したと主張するが、原審における控訴人本人尋問の結果によると、中元は被控訴人の外務員となる前に外務員をしていた日興証券と小川証券においても、控訴人の資金を運用して株式の取引をしていたが、その際にも同様の約束をしているのであるから、本件口座における取引において右と同様の約束をしていたとしても、それは被控訴人の代理人としてではなく、中元個人の私的な約束とみるべきであって、被控訴人の代理人として約束したものとは認めることはできない。

(二)  同2の事実は、原審における控訴人本人尋問の結果の中にはこれに副う部分もあるが、原審における証人小島重常の証言に照らし採用できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(三)  従って、控訴人の右予備的請求もまた理由がないものとする外ない。

三そうすると、控訴人の甲事件の請求及び乙事件の主位的請求を棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴人が当審で追加した乙事件の予備的請求も理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中川臣朗 裁判官緒賀恒雄 裁判官杉山正士)

《参考・原審判決理由》

一 請求原因1及び同2のうち被告大阪支店に本件口座が開設されていることについては当事者間に争いがない。

(甲事件関係)

二 まず、原告と中元との関係、本件口座開設の経緯、同口座における取引状況及び中元に対する本件金員の交付に至る事情等について検討する。前記争いがない事実に加え、〈証拠〉を総合すれば次の事実が認められる。

1 原告は、関西テレビに勤務してきたいわゆるサラリーマンで、本件口座が開設された昭和五一年八月当時は同社総務課長、本件金員が中元に交付された昭和五八年二月当時は同社国際管理部長の職にあったもの、中元は、昭和四二年四月日興証券に営業社員として入社し、その後小川証券を経て昭和五一年一〇月から被告大阪支店に歩合外務員として勤務してきたものである。原告は、中元が日興証券に勤務していた昭和四四年頃同人と知り合って同社投資信託を購入し、その後中元が小川証券に移って以降頃からは同人に資金運用一切を委ねる形で株式取引を始めるに至った。

2 本件口座は、中元が被告大阪支店に移籍することを見越して同人がいまだ小川証券に勤務していた昭和五一年八月六日に同人を介して被告大阪支店に開設されたが、同口座の開設に当たっても、原告は従前同様に中元を信頼して、原告の出資元本及びこれに対する銀行利息程度の利益を中元において保証するとの約束で、同口座における株式の買付・売却の銘柄、時期、数量の決定はもとより現物・信用取引の別、現引、買付株式の代用証券への振り替え等その資金運用一切を同人に委ねた。

ところが、同人による本件口座での取引は損失を計上することが多く、昭和五四年八月一七日には同口座の残高が三〇六万〇三三〇円にまで減少し、そのため中元は、資金運用の効率化を図って同人が個人で運用していた赤川昌三名義の口座に右の残金全額を移して一旦本件口座での取引を打ち切り、その後、昭和五五年一〇月一四日、現金三〇〇万円の入金を手始めに再度本件口座での取引を開始したものの、なお損失は増大するばかりであり、結局昭和五八年二月末の取引終了時には総計で約八七四〇万円(但し、内約一八四〇万円は中元の後記不始末が発覚した後の同月一〇日以降に生じたものとみられる)もの多額に達している。

3 ところで、中元は、本件口座開設の当初から同口座を原告の取引だけのために使用せず、自己を含め原告以外の者の資金を一部導入しつつこれを一括運用していたのであるが、昭和五五年一〇月以降の前記再開後の取引においては、このような自己資金ないし第三者資金(自己の顧客である中島、児玉武行、横浜茂雄から委託を受けて受領した資金である)を頻繁かつ大規模に導入し、しかもこれらの資金を互いの区別なく一括して委託保証金や現引代金として利用するようになった。その状況を現金の入金でみると、本件口座へは総計約二億四四四〇万円の現金が入金されているが、そのうち本件口座での取引が一旦打ち切られた昭和五四年八月までの入金が約一三八〇万円であるのに、昭和五五年一〇月以降の取引再開後の入金は約二億三〇六〇万円に昇っており、しかも後記の原告の出資状況から判断してその大部分(少なくとも約二億円を越すと推認されよう)が中元の自己資金ないし第三者資金とみられる。

したがって、本件口座における取引での損失が前記のとおりの多額に達していながら、その口座残額が昭和五八年二月七日現在合計二七〇三万六五三四円であり、買付株式として日産化学工業一八万株、川崎製鉄三万株が残存している(これらが乙事件において原告が返還を求める金員及び株式である)のは、その殆どが中元の自己資金ないし第三者資金を原資とするとみられる。

4 本件口座への原告の出資は、別紙一覧表二ないし六の株式がいずれも代用証券(乙一五号証により預入時の評価額を算出すると合計一一九四万一〇〇〇円となる)として預入られ、また同表七の現金三三七万〇三七八円が本件口座の顧客勘定に入金しているが、同表一の現金については、原告主張のようにこれが一括して入金されたとは認められないけれども、昭和五一年一一月二九日大阪車輪一七二五株(評価額四一二万二七五〇円)が代用証券として預入られ、翌昭和五二年一月一九日に返却されており、同日現金二五〇万円が顧客勘定へ入金しているのでこれについては原告の出資と推認できるにとどまる。本件口座に対する原告の出資は以上に尽きるが、右代用証券は、同表二の松下電工五二〇〇株のうち三二〇〇株(評価額二〇九万六〇〇〇円)を除き(これは昭和五二年六月二三日保護預となったが、以後の処分は不明)すべて昭和五四年二月一九日までに売却済であり、右現金も前記のとおり、中元の自己資金や第三者資金と混同して判別不能である。

5 本件口座における客観的な取引状況は以上のとおりであったが、この間中元は原告に対し、利益が上がっているとか損益が均衡しているとかいうばかりで、右のような損失状況や原告以外の者からの資金導入については一切秘しており、しかも本件口座開設当初こそ取引内容について原告に対する事前説明がなされていたけれども、これも次第に事後報告されることが多くなり、特に本件口座での取引が再開された後の昭和五六年六月頃からは、原告の承諾を得て原告名の印鑑を作った上これを利用して中元自ら必要書類に押印するようにもなっていった。その上に、原告の方でも中元に取引内容・経過、損益状況等について詳細な報告、説明を求めたり、自らそれを点検したりすることもなかったため、被告から原告に対し、取引ごとに売買報告書が、また毎月取引の照合通知書が、半年ごとには本件口座の残高照合通知書がそれぞれ届けられていたにもかかわらず、原告は本件口座における取引状況を殆ど把握するには至らなかった。

なお、原告は中元から、本件口座からの利益として約一〇回にわたり一〇万円ないし三〇万円程度、合計で約二〇〇万円を受け取っているが、これは自己の海外旅行の際等一時的に金銭を必要とする都度受け取ったもので、個々の取引の益金として受取ったものではなく、他に原告と中元とで損益、報酬の清算がなされたことはない。

6 ところで、前記のとおり、本件口座における取引は多額の損失を計上していたが、このようななかで資金繰りに窮した中元は、新たな資金の導入に迫られた末、原告にその調達を依頼することとなった。すなわち、当時中元は、大阪商業信用組合に対し前記赤川名義で約一億円に昇る借入金があり、その担保として中島の有する投資信託である日興証券ファミリーファンド四四〇〇口(額面四四〇〇万円)を同人に無断で同信用組合に差し入れていたところ、右ファミリーファンドを本件口座で現引した株式に差し替えて受け戻し、これを担保に他の融資先から新たに資金を借り入れようと計画したものの、自らの力では右現引代金の都合がつかなかったため、原告に対し、右事情を秘したまま原告の本件口座における取引に必要であるからと持ちかけて資金調達を依頼し、合わせて右ファミリーファンドを担保に出すので迷惑をかけることはない旨を告げた。そこで、原告は、中元の言を信用し、昭和五八年二月八日、同人から紹介された金融業者である興和産業から四二五〇万円を期限一か月、利息月五分の高利で借り受け、これを原告の「株式信用取引代金」として中元に交付した(これが本件金員である)が、中元としては、先ず本件金員を本件口座に入金した上これで現引した株式を右ファミリーファンドと差し替える腹づもりであったのに、案に相違して、同信用組合が一部でも弁済のない限り右ファミリーファンドの受け戻しに同意しない態度を示したため、やむなく原告から受けとった本件金員を同信用組合に支払って右ファミリーファンドを受け戻し、原告の興和産業に対する債務の担保に供することになった。

右の次第で資金計画が頓挫し、中元は、翌九日頃被告大阪支店の上司に対し、これまでの経緯を上申するに至った。

以上のとおり認められる。なお、〈証拠〉には、本件口座に中島の資金を導入するに際し、中元が原告から本件口座名義を使用するについての承諾を得た旨の記載があるが(ただし、乙第一、第二号証は名義使用の許諾のみの記載である)、中元証言及び原告本人尋問の結果により認められるその作成状況を斟酌すると、被告に有利な「解釈」が混入している疑いがありたやすく採用できず、他に以上の認定を覆すに足りる証拠はない。

そうすると、右2、3、4で認定した本件口座における取引の損益、資金導入の状況及び導入資金の比率等からみれば、右取引は少なくとも同口座における取引が再開された昭和五五年一〇月以降、客観的には中元が自己の資金及び原告を含め前記中島らからそれぞれ委託を受けた資金を無差別に導入しつつ自らの計算で行なっていた自己思惑取引と判断するほかはなく、ただ原告が仮にこの事実を知らなかったとしても、中元を信頼するあまり、同人のこのような資金運用の実際を知らなかったに過ぎないと認められる。

以上の認定によれば、本件金員は原告が中元に詐取ないし横領されたということができ、かつこれが原告の「株式信用取引代金」として授受され、被告外務員たる中元の職務執行の外形のもとに行われていることが明らかであるから、以下中元の右所為が民法七一五条にいう「事業の執行につき」なされたか否かにつき検討する。

被用者の行為がその外形からみて使用者の事業の執行に属すると認められる場合であっても、実際にはそれが被用者の職務を離れた被用者本人としての行為であり、かつその相手方が右の事情を知り、または重大な過失によりこれを知らないものであるときは、右被用者の行為は使用者の業務の執行に当たらず、その相手方たる被害者は、民法七一五条に基づく損害の賠償を請求できないと解するのが相当である(最高裁昭和四二年一一月二日第一小法廷判決民集二一巻九号二二七八頁参照)。

そこで、本件についてこれをみるに、本件口座における取引は、昭和五五年一〇月以降中元の計算で行われており、本件金員も同人の取引に必要な資金であったことは前記認定のとおりであるところ、さらに前記認定事実によれば、この間、原告は被告から本件口座における取引に関し詳細な書面を受け取っており、自己の出資金、株式の処分状況はもちろん本件口座に多額(前掲の乙一八号証によれば、一〇〇〇万円を超える入金すら一度や二度にとどまらない)の資金が導入されていることも容易に把握できる立場にあったし、また、本件口座の開設事情や中元に対する印鑑の使用許諾など、本件口座における取引は、原告と中元との特別の個人的信頼関係に基づいて行われていたと認められるのであるが、そうであればもともと原告において中元に対する十分の監視をすべきであったにかかわらず、被告から原告に送られてくる右取引関係書類を自ら点検したり、中元から詳細な報告・説明を受けたりしないままに本件口座における実際の取引内容を把握していないのはあまりに怠慢である。加えて、本件金員の授受においても、中元証言及び原告本人尋問の結果によれば、このような多額に昇る資金調達の要請は初めてのことであり、しかも原告は、担保に供された前記ファミリーファンドを中元自身が「自由に動かせる」証券であると理解していたし、また原告も、そうであれば右ファミリーファンドを担保に中元自ら借り入れをするよう同人に申し向けていることが認められるのであって、いかに原告が同人に対し本件口座における資金運用一切を委ねていたにせよ、原告としても本件金員が中元自身の取引のために使用されるのではないかとの疑念をもつのが当然の状況といいうる。

しかして、右説示の諸事情を総合斟酌すれば、本件金員の授受に際し、本件口座における取引が中元の計算で行われており、本件金員が同人の取引のために使用されることを原告において知らなかったとしても、それについて原告に重大な過失があることが明らかである。

そうすると、その余の点について判断するまでもなく原告の甲事件の本訴請求は失当というべきである。

(乙事件関係)

三 前掲の甲第二ないし第四号証によれば、本件口座において、請求原因7ないし9の各取引がなされ、昭和五八年二月七日現在原告主張の株式が残存していたこと、また同日現在の同口座残額が原告主張のとおりであることは認められる。

そして、中元が右本件口座取引の期間中被告の外務員であったこと、中元が前記のとおり本件口座を利用していわゆる自己思惑取引をしたことは前記認定のとおりであり、証人中元睦雄及び同小島重常の各証言によると被告は右のような顧客の口座を利用したいわゆる自己思惑取引を外務員に禁じており中元もその例外ではなかったことが認められる。

ところで、証券取引法六四条は、証券取引の顧客の保護のために、外務員を証券取引についてその所属する証券会社の代理人とみなす旨を定めるとともに、顧客が悪意であるときはこの限りでない旨の例外の定めをしているところ、この例外規定は悪意の場合と同様顧客を保護すべきでない場合とみるべき重大な過失がある場合にも適用されるべきであると解すべきである。

これを本件についてみるに、前記認定のとおり、原告は、中元が右のとおり本件口座を利用していわゆる自己思惑取引をしているについて、仮にこれを知らなかったとしても、これを知らなかったことにつき重大な過失があるものと認めざるをえない。

それゆえ、原告は証券取引法六四条一項によって保護されるべきではないというべきである。

また、原告は、川崎製鉄三万株を善意取得した旨主張するが、中元は右株式が横浜のものであるのを知っていたし、原告自身が横浜と取引をしたのでもなく、まして原告と中元との間で直接の株式取引がなされたとは本件全証拠をもってしても認められないから、右主張も採用の限りでない。

なお、原告は本件口座における取引につき一覧表のとおり(但し、一の現金についてはその一部のみ)に出資しており、前記昭和五四年八月一七日の中断までは必ずしも中元の自己思惑取引が行なわれたと断定しえないとして、その時期までの出資残額が右本件取引終了日に存していた可能性があるとの疑問がないではなく、又、第一次的には中元の計算による取引であっても、右口座残額等に対し出資分に応じていわば持分的な権利を有するとみる余地がないではない。しかし、前掲甲第四号証によれば、昭和五七年一二月二四日の約定日には本件口座残額が一旦ゼロとなっておることが認められ、その後の同口座への導入資金がいくぶんなりとも原告の出資に基づくことを認めるに足りる証拠がない本件においては、右可能性はなく又右持分的な権利をも認め難いというほかない。

よって、原告の乙事件請求もまたその余の点について判断するまでもなく失当ということになる。

四 以上の次第であるから、原告の甲事件及び乙事件における各請求はいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

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